気まぐれ日記 05年1月

04年12月はここ

1月1日(土)「長〜い元日・・・の風さん」
 昨夜は、鈴木輝一郎さんの新刊『巴御前』を真ん中まで読んで(エンターティナーだなと感心しつつ)、あまり遅くならないうちに就寝した。
 で、今朝は8時前に起床して、次女と初売りに出かけた。恒例の高崎福達磨(先着100名が1回300円でくじ)が狙いである。本を1冊出版するたびに目を入れている。久しぶりにミッシェルを運転する感覚が新鮮だ。道路も空いていて、気持ち良い。開店前に着いたので、先着300名様の酉の絵皿もゲットできた。達磨の抽選まで時間があるので、店内をぶらぶら歩いているうちにプラモデルやDVD、CDなどを衝動買いしてしまった。達磨は特等から4等まで大きさ順にあり、昨年は2等だった。ほぼ毎年抽選に参加しているが、一番小さな4等は当たったことがないので、今年は4等を狙っていた。そうしたら、次女は3等で、私はまた2等だった。きっと大作を書けという神のお告げに違いない。
 まだ時間があったので、近所にあるビデオレンタルショップへ寄った。ここには年末PSPが置いてあり、すぐ買おうかと思ったが、きっとお年玉を握り締めた子供らが争って買うだろうと、とりあえず保留にしてあった。それがどうなっているかチェックするのが目的だが、もちろんまだ残っていたら風さんの餌食である。・・・あった!(驚)。バリューセットと本体だけのセットが2セットずつ。子供らが狙っていなかったのなら、私が買ってもバチは当たるまい、とすぐその場でバリューセットとソフト2個(リッジレーサーとルミネス)をゲットした。
 正月早々童心に帰った風さんは、笑顔で帰宅。
 それから家族でお屠蘇と雑煮を祝い、子供らにお年玉を配り、年賀状のチェックに入った。そして、住所変更が3人と出していない人からの年賀状が4通あったので、それらの入力と印刷もさっさと終えた。と言いつつ、酔っていたから、けっこう時間がかかった。
 それからワイフと近所の神社まで歩いて初詣に出かけた。空は晴れ渡っていたが、冷たい風がぴゅーぴゅー吹いていて、コートにマフラー、手袋といった完全武装でも寒かった。その足で、杉本美術館へ回った。
 杉本美術館は、昨年の2月10日に98歳で亡くなられた杉本健吉画伯の作品を収蔵・展示する美術館である。画伯は、今年が愛・地球博の年であることと自身白寿(はくじゅ)になることを意識されていて、一昨年(いやもっと前からかも知れないが)から「幡白(ばんぱく)展」の準備されていた(幡は仏教で使う幟のこと)。だから、今年の干支である酉をデザインした絵馬だって、ちゃんと準備していたのだ。
 美術館が元旦から開館しているのは、今年に限ったことではない。毎年恒例のことである。亡くなられてからも、それが受け継がれていることに感銘を受けて、今年は元旦に出かけてみたのだが、いつ拝見しても、画伯の絵は微笑ましい。観ているうちにどんどん気持ちが楽しくなってくる。絵の中の人物なども、画伯のお人柄が投影されていてとっても好感がもてるのだ。・・・と、画伯の四女の清子さんのお姿が見えたので、会釈すると、覚えていてくれて、ほぼ3年ぶりくらいに新年の挨拶を交わすことができた。「次の作品を期待していたのに、残念でしたねえ」「いいえ、私がノロノロしていたばっかりに・・・、でも、もしまたお願いしたら、許していただけるでしょうか」「ええ、もちろん大丈夫だと思いますよ」と、早くも次の作品でまた画伯の絵を借用できるかも知れず、こちらは胸が高鳴った(頑張らねば)。
 かなりのボリュームの散歩ができたわけで、帰宅後は、遅いおやつを食べ、ようやくPSPを操作してみることにした。(途中省略)何とかルミネスを操作できるようになったが、風さんは老眼鏡をかけっぱなしであった(笑)。
 それから書斎に入って少し片付けものをしてから夕食。夕食後も続けて書斎で執筆の準備を続けているうちに、ホームシアターの時刻となった。この冬期連休中は、せっせとワイフと映画鑑賞をしている。想像力を刺激するためには映画や読書は好材料となる。今夜は、Zhang Ziyiの出てくる「天上の剣」というのを観た。コンピューターゲームの原作みたいな格闘シーンの連続で、確かにCGは美しいが、ストーリーなどあってないようなもので、しかもお目当てのZhang Ziyiは特別出演という触れ込みなのに、ほとんどチョイ役に等しく、存在感が薄かった。
 映画が終わった後、PSPをチェックすると、長男に荒らされて、ルミネスの最高点を出されてしまった。当人は悠然と入浴中。次女もまだテレビを観ていて、これではいつ就寝できるか分からない。
 最後までしぶとく読書は続け、『巴御前』の最終章に入った。

1月2日(日)「年末年始特別ビデオ連日鑑賞会・・・の風さん」
 年末年始特別ビデオ連日鑑賞会の第?日目は、中井貴一の「ヘブン・アンド・アース」。
 このビデオを観るきっかけは、彼の著書『日記』(キネマ旬報社刊)を読んで興味をもったからである。
 中国人監督による映画で、舞台は新疆ウィグル地区という、シルクロードか西遊記の世界である。日本人出演者は彼一人、遣唐使という設定だ。砂漠地帯での撮影でいかにも暑くて暑くて死にそうに見せながら、実は撮影が遅れに遅れたため、厳寒の(マイナス20℃という)砂漠地帯で撮影していた。『日記』によると、撮影はきわめて非効率的、しかも進行は監督の頭の中だけにあり、スタッフは何も知らされない。打合せもほとんどなく、連日、長時間かけて中古のマイクロバスなどで道なき道を現場へ向かい、念入りに衣装やメーキャップを施して待ち続けるのだが、「今日は撮影なし」とドタキャンされることが何度も続く。宿舎に帰ってやることと言ったら、口に合わない異国料理をほおばり、トランプに興じるしかないというそりゃあプッツンしそうなロケの連続だったとのこと。しかも、遅れの原因は中井貴一の合流遅れにされているらしいと聞いては、私だったら、即刻帰国ものだ。それでも、中井貴一は、良い映画を撮るんだという強い決意や、高倉健さんからの激励「こらえろよ!」に励まされて、やっと完成した映画なのだ。
 鑑賞しての感想は、まず第一に「まるで西部劇のような映画だが、風景がすばらしい。監督が撮りたかったのは、この大自然をバックにした活劇だったのか」と納得した。しかし、中井貴一のような日本人から見たら、やはりもっとドラマが欲しいし一人一人の人間をもっと掘り下げて描いて欲しかったと思う。主役のヂャン・ウェンは、圧倒的な存在感のある俳優で、ちょっと三船敏郎を思い出した。カッコいい。アイドルタレントのチャオ・ウェイは確かに可愛いが、役者としてはまだまだ。そして、中井貴一は映画でも現実の撮影でも、立派に日本人として行動し、演技することに(内面を見せようと)こだわってくれていた。
 DVDだったので、付録の映像があり、撮影風景がふんだんに見られた。だいぶ美化されていて、『日記』を読まなければ真実は分からない。国際問題の舞台裏を見るような気分で、両方合わせて楽しむことを勧めたい。
 実は、朝から左目の上瞼が痛く、夜になってかなり腫れてきた。俗に言う「ものもらい」「めばちこ」「めいぼう」、医学用語では麦粒腫になってしまった。ブドウ球菌がまつ毛の皮脂腺の奥に侵入して化膿したのだと言う。痛い。

1月3日(月)「勉強ばかりの正月三が日・・・の風さん」
 今日も天気は最高。青空が広がっている。しかし、私は「ものもらい」で家から出られず。
 今夜は韓国映画「シュリ」を観た。予備知識はほとんどなし、だった。
 銃撃シーンは、まるでアメリカ映画みたいな迫力。似ていると思ったのはブルース・ウィルスの「ダイ・ハード」だ。ドンパチの音のすさまじさ! 社会性という点では、北と南の問題を正面からとらえつつ、一方で、北の女と南の男の恋愛という視点で人間としての共通性を描いている点が秀逸。ただ、ほんの少し残念なのは、この北の女が徹底した軍事訓練を受けた殺人兵器でありながら、なぜこの男との愛に揺れ動く人間の本質を取り戻したのかが、描写不足だったと思う。当然考えられる設定ではあるが、冒頭に言語を絶する訓練風景(生身の人間を用いた殺人訓練とか、ね)があるだけに、その落差に簡単にはついていけない。全く別の例で言えば、冷酷な連続殺人犯人が、人間としての心を取り戻すのに、どれだけのプロセスが必要か、想像してみれば良い(昨年死刑執行された死刑囚で、最後まで改悛の気持ちを示さず、早く死刑執行してくれと望み続けた男がいましたよね)。
 輝一郎さんの『巴御前』を読み終えた。巴御前と馬の「御岳」の描写が面白い。そして、木曽義仲と源義経だ。いつものことながら、有名な登場人物でも全く違った人物として、あるいは別の視点からの物語として描くという点で、大いに勉強になる。同じ小説家として、「価値のある作品を創造して書き残している」と言える。書き出しの「ツカミ」もさすがだし、ラストの盛り上がりもうまい。

1月5日(水)「連休最終日、雑用終わらず・・・の風さん」
 冬期休暇の最終日である。けっこう時間があった筈なのに、予定したことの半分もできなかった。これでは、昨年から何の進歩もない。
 で、今日は、とりあえず、やり残した事柄で、やれることから片付けることにした。少しでも雑多な仕事を済ませておかなければ、気になって本来の仕事ができないからだ。
 ということで、朝からてきぱきと動き回った。すべてを書いても仕方ないので、一部だけ紹介すると、郵便物を一つ出した。随筆を2本書き上げた。自治会の仕事(今月末分)をほぼ準備できた。昨年の経費の計算を90%以上終了した(残る大物は書籍購入費の集計ぐらい)。図書館へ本を返却し、トレーニングにも行ってきた(ようやく今日から体育館が開館)。
 正月太りが心配されたが、体重は昨年末と変わらず。しかし、体脂肪率が著しく上昇していた。肥満度はプラス0.4%なのに、体脂肪率は21.7%だった。これからせっせと通って落とさねば。
 これだけ色々とこなしたのに、まだまだ仕事は残っている。明日、どれだけできるだろう?

1月7日(金)「体脂肪率の話・・・の風さん」
 速攻で帰宅し、トレーニングに行った。今年初めてラボードで2000m走った。連休中の下半身の衰えは心配したほどではなかったようだ。さて、お楽しみのトレーニング後の測定結果。血圧はまずまずとして、あれれ? 体重は0.1kgしか増えていないのに、体脂肪率が18.1%と、一昨日より3.6%も低下しているではないか!
 体育館での体脂肪率測定は体重計に素足でのって行うものだ。一般的な体脂肪率の測定は、インピーダンス法を用いている。脂肪は電気を通しにくく、筋肉が電気を通しやすい性質を利用しているのだ。あとは体重や身長を加味し、計測器メーカー独自の計算式で体脂肪量と体脂肪率が求められる。誤差の第一要因は、体内の水分量とのことだ。体内に水分量が多いと筋肉が多いようにインピーダンスが低下するため、体脂肪率も低い値が出てしまう。そこで、できるだけ好条件の同一条件で、継続的に体脂肪率を観察することが大切なのだそうだ。
 ということは、体内水分量だけで言えば、一昨日は体内に水分が少なく、今夜は多めだったのかもしれない。
 血圧の測定では、連続して測った場合、低い方をポテンシャル値として記録する。体脂肪率は、水分が誤差だとすると、水分が少ない状態がポテンシャル値になるのではないだろうか。そういう意味で、一日の中でも最も水分量が減少している夕方6時以降に、さらにトレーニングで汗を流した後測定するという、今夜のような計り方は理想的かもしれない。
 再び帰宅して食卓の上を見たら、七草粥と一緒に年賀状がのっていた。初めての人も1通含まれていた。今年は、ついに本名宛を鳴海風宛が上回った。サラリーマンは定年退職後、年賀状の数が極端に減って、かなりショックを受けるという話を聞いたことがある。私の場合、これからはますます鳴海風宛が増えるだろう。しかし、年賀状代も(印刷費込みで考えて)バカにならないけどね。

1月10日(月)「とにかく前向きに・・・の風さん」
 土日に久しぶりに小説家に専念した。しかし、小説はおろか昨年の講演のまとめ原稿まで手が回らなかった。とにかくやったことは、随筆を2本書き上げたことと、新鷹会の手伝い業務、某出版社へ売り込む企画の準備、それから来週の講演のスライド作りである。それだけで大変だった。
 プロの世界は結果を出して「なんぼ」だから、努力したことなどいくら主張しても意味はない。
 頑張り過ぎたせいか、今朝目覚めたら左目のまぶたが痛い。鏡を見たら、ものもらいが再発していた。そのせいで、会社では一日中不快だった。
 予定通り速攻で帰宅してトレーニングに行った。今年3回目である。トレーニング後の数値は、血圧はまずまず、肥満度が久しぶりにマイナスになり、マイナス0.1%、ただし体脂肪率は再び上昇し、19.5%だった。
 今夜も売り込み企画の準備と講演スライドの作成をやる。前進あるのみ。

1月11日(火)「アフィン変換・・・の風さん」
 「ものもらい」がひどくなり、痛くてかなわないので、会社を休んで養生に努めた。養生と言っても、コンタクトを装着せず、メガネにしておき、せっせと目薬をさすことである。これで正月休みは快方に向かったのだ。
 目は痛くても仕事はできるので、来週の講演準備と某出版社に売り込む企画の準備はできる。休憩を頻繁にとりながらこれら本業の仕事をやった。その合間に、趣味である会社の仕事も少しした。
 出版のための企画として3つを用意した。これらをA4用紙1枚にまとめた。「天才和算家の無頼生活を描いた小説」と「前作の続編になる話」と「短編集」である。それぞれ何が新鮮味があり何が売れる要素かを明記した。
 講演準備は基本的にスライドの作成だが、今日はヤバイことになった。講演後に和算の問題を宿題ではないけれども、お土産に残して行くつもりなのだが、自分でも解けないとまずいと思い、つい解法に挑戦したのである。そしたら、これが恐ろしく難問。楕円を扱った幾何の問題である。頭の中にある知識や記憶では全く解けない。止むを得ず、ヒントを求めて、解法のついている類題を探した。それで、ようやく見つかったのだが、その解法は私の知らない(あるいは完璧に忘却してしまった)やり方で、理解するのにかなり時間を要した。それで何とか1時間くらいかけて解けたのだが、ずいぶんと手間ひまがかかったし、心底理解できているわけではないので、当日来て下さる京都大学の先生に解法をチェックしてもらうつもりである。ちなみに、用いた手法は「アフィン変換(アファイン変換)」というやつである。
 注)私が大学の教養部で落としたために留年することになった「線形代数学」のテキストの中に、このアファイン変換があって、あとでよく調べたら、まるで勉強した形跡が残っていなかった。

1月12日(水)「霰粒腫だって・・・の風さん」
 出張で上京した。依然として目が痛く、今日もメガネで通すことにした。
 午後、何とか業務を終えて、同僚と帰途についたが、寒風の中で目が痛い。「もう医者に切ってもらうしかないぞ」と言われ、私もそんな気がしていた。そうなると、もう早いほどいいので、近くに眼科はないかとキョロキョロしていたら、あった〜! 「痛くてたまらないので、眼科で診てもらう」と告げて、仲間から離脱した。
 そこでは当然初診なので、基本的な検査をすべて受け、私の厄介な目に関する既往症をすべて並べたて、ようやく診察の順番が回ってきた。
「霰粒腫(さんりゅうしゅ)ですね」
「麦粒腫(ばくりゅうしゅ)じゃないのですか?」
「いいえ、霰粒腫です」
 皮脂腺からの細菌感染が原因の麦粒腫(ものもらい)と違い、霰粒腫はマイボーム腺の排出管の「詰まり」という何とも迫力のない病気だった。炎症を起しているので、私の場合は急性だったらしい。通常は手術による切除が治療法らしいが、抗生物質の飲み薬と点眼薬で治るでしょう、とのことだった。
 保険証を持参しない出張だったので、自費で処理し、後日(たぶん15日の午前)、清算に来ることにした。
 昨日用意した小説の売り込み企画の一つに、出版社が興味を持ってくれた。次のステップに入れそうだ。

1月14日(金)「トレーニングに行けるほど元気になったかも・・・の風さん」
 せっかく正しい病名が判明したのに、昨日は傷みも腫れもひかず会社を休んだ(ものもらいでなくても、症状はものもらいとそっくりで、みっともない顔だ)。不快指数は高かったけれど、いじけている場合ではない。来週の特別講義の準備をせっせとやった。
 一夜明けて今日。恐る恐る鏡を覗きこんだ。「鏡よ鏡、鏡さん。世界で一番美しいのは誰?」・・・じゃないだろ!
 残念ながら、・・・腫れている。しかし、趣味だと豪語しているとはいえ、会社は甘くない。最近3ヶ月未読メール3000件の風さんである。臨界点を超えたら、取り返しのつかないことになりかねない。で、遅刻しながらも出社した。(やけに暖かな日だな)
 出社早々から左目がごろごろし出し、早速「黄信号」が点灯したが、まったなしが会社の常識である。とうとう夕方までひたすら仕事した。しかし、帰る頃には、いくらか気分が良くなっていた。ふさがっていた左目が、いくらか開きかけていたからだ。
 こういうチャンスは逃してはいけない。帰宅してすぐ体育館へ直行した。
 今年4回目のトレーニング後の数値。血圧は正常値。肥満度−0.1%で、体脂肪率は18.9%だった。
 「大衆文芸」1月号が届いた。めでたい新年号の随筆の顔ぶれは、私が選んだ。野村敏雄先生、神坂次郎先生、辻真先先生、森一歩先生である。豪華。あと、西村京太郎先生にも依頼したのだが、なぜか掲載されていなかった。多忙で断られたのかな。
 明日から風さんは、また旅に出る。

1月15日(土)「新鷹会で頑張る風さんの巻」
 心配した通りというか、天気予報通り、朝から雨である。しかも、冷たい雨。
 早めに上京し、水曜日に診察してもらった眼科に寄った。再度検査や診察を受け、「霰粒腫は本来慢性の病気なので油断してはいけない」と新たな処方もしてもらい、保険証による清算もしてもらった。しかし、かなり時間を食ってしまったので、レストランで昼食をとる時間がなくなり、キオスクでサンドイッチとエビアンを買って、中央線の車内で食べた。
 当然、ホテルにチェックインする時間もなく、両手の荷物を新宿のコインロッカーへ放り込み、代々木八幡を目指した。それにしても寒い。しんしんと冷える。天気予報では東京は雪になるかもしれないとのことだった。
 いつもより1時間早く代々木八幡へ行ったのは、有志による、「大衆文芸」送付先見直しをやるためだった。7人が集まって、初めての検討会をやることができた。
 勉強会には久しぶりに辻真先先生がいらっしゃった。
 年が明けてから用意した随筆2本を提出した。
 勉強会のあとは、例年1月はそこで続けて新年会をするのだが、新鷹会の活動計画案を作成していったので、それを皆に紹介した。おおむね受け入れられたようである。特に今年やりたいのは秋の塩原温泉勉強会である。新鷹会ゆかりの和泉屋旅館での勉強会は意義が深い。
 非常に寒い夜だったが、2次会、3次会と付き合って、最後は新宿からタクシーでホテルへ向かった。
 今夜のホテルはビジネスセンターが1階にあって、ブロードバンド接続が無料でできるので、チェックイン後、午前零時ころから、明後日の特別講義のための資料やデータを入手した。
 左目はかなり落ち着いてきているとはいえ、腫れが完全に引いているわけではないし、まだ何となく違和感というか不快感が残っている。何とか、月曜日の朝までに完治してほしい。
 就寝は2時頃になった。やけに元気だな、最近のオレ。
 
1月16日(日)「京都でも頑張る風さんの巻」
 朝食はコンビニのパン、昼食は東京駅の売店で買ったおにぎり2個。
 新幹線に乗車したら、近くで猫の鳴き声が・・・。斜め一つ前の席に、カゴに入れられた大きなトラ猫だった。体の割に幼い鳴き声。実は、昨日乗車した新幹線でも、斜め後ろの席に、カゴに入れられた猫が、ニャーニャー鳴いていた。その猫のカゴは袋がかぶせられていて、どんな猫かは分からなかったが、声の感じから子猫のような気がしていた。新幹線の中でときどき赤ん坊がぎゃーぎゃー泣いていることがあるが、人間の泣き声に比べて猫の声は何とか弱いことか。きっと心細くて鳴いていたのだろう。
 横浜を過ぎてからどんどん天気は回復し、青空まで見られるようになった。名古屋を素通りし、岐阜に入ると山に雪が残っていた。昨夜は東京は雪は降らなかったが、このあたりはかなり降ったのかもしれない。京都駅に着いたのは、午後1時過ぎである。
 ホテルにチェックイン後、明日の特別講義のための取材に出かけた。
 現存する算額(さんがく)のうちで、日本で2番目に古いのが北野天満宮にあり、3番目に古いのが八坂神社にある。また、幕府天文方が京で測量をしたのが、西三条台改暦所といい、これがあったあたりに、月光稲荷というのが目印のごとく残っている。それら3箇所を見て回るのが目的である。
 当初、バスで八坂神社へ向かい、そこからタクシーで北野天満宮、歩いて月光稲荷という気まぐれスケジュールを組んでいたが、大いに計画は狂った。八坂神社へ向かうバスで206系統を選択したのは良かったが、循環ルートになっているうちの遠回りの方に乗ってしまったのだ。仕方なく、バスに乗ったまま地図とにらめっこし、その後の作戦を変更した。まず、車内でバスの1日乗車券(500円)を購入し、これからの移動はすべてバスにすることにした。
 八坂神社に着いてすぐ絵馬堂へ向かった。かなり古いけれども大きな建物で、外周壁面に大きな絵馬がかかっている。また、この建物は高床式になっているのだが、仕切ってある内部にも絵馬がかけられている。ただし、柵がめぐらせてあり、建物の内部は立ち入り禁止になっていた。算額は外部には見当たらなかった。内部の算額は、下からのぞきこむ形で探してみたら、正面から見て右端奥に下半分だけ幸いにも発見することができた。昨今は防犯カメラとか整備されているので、柵を乗り越えて中に入るのはやめた。参詣人も多かったし。本殿に参拝して、すぐバスで次の目的地に向かった。乗り継いで、北野天満宮である。ここの絵馬堂も古く大きかった。内部は休憩所になっているので、立ち入り禁止ではない。しかし、探している算額が見つからない。1枚別の算額があったが、それは目的のものではない。腰掛けているおじさんに尋ねてみたら「わしゃ大阪から来たので知らん」とのこと。止むを得ず、裏手の事務所にいる人に聞いてみた。そしたら、わざわざ出てきてくれて、右端奥でしかも天井に近いところ(照明もほとんど当たっておらずよく見えない)にあった。もともとそれは算額の上に別の絵が上書きされていたもので、上の絵が剥げ落ちてきて下の算額が見えてきたという、非常に分かりにくいものだったから、そんな薄暗いところにかけてあったのでは、いくら目を凝らして探してみても見つからなかったわけだ。ここも本殿を拝んで失礼することにした。さすが受験シーズンだけあって、天神さんは大賑わいだった。
 京都の市バスは面白い。バス停に「やがて来るバスの到着予想時間」が自動表示される。これは無線式のバスロケーションシステムと言うらしい。ポケロケといい、ケータイでも情報が入手できるようだ。
 再びバスを乗り継いで、そこからかなり歩いて月光稲荷へ向かった。ここは、事前にインターネットで地図をゲットしてあったので、かなり分かりにくい所だったにもかかわらず、一発でたどり着くことができた。
 今日、最後のバスに乗って、京都駅へ向かった。コンビにで(またか)夜食と明日の朝食を買い込んでホテルへ戻った。とにかく寒かったので入浴して体を温めてから食事をし、それから明日の資料の仕上げに取り組んだ。結局、今夜も5時間くらい頑張った。

1月17日(月)「上野先生にご迷惑をかけっぱなし・・・の風さん」
 目覚めてから外を眺めると、まだ雨が降っている。
 嵯峨野高校へのアクセスは、一昨年と同じパターンで何となく懐かしい。とにかく2度目の強みで、会場作りを一緒になってやった。椅子の配置を詰めたり、スライドのスクリーン映りが最大になるように微調整したり、気に入るまでやらせてもらった。
 10時半過ぎに京都大学の上野教授も到着された。昨年の講演で会えなかったことと、私のような者を社外講師として呼ぶ嵯峨野高校にも興味を覚えたのではないだろうか。数学離れや若者の学力低下が著しい昨今である。それを敢えて数学を題材にする小説家に講演させるのだから、無謀と言っても良いかもしれない。
 講演前に、和算の問題を自分で解いた答を見てもらい、アドバイスを頂戴した。
 講演はほぼ満足の行く結果だった。何といっても、一昨年は睡眠学習の生徒がたくさんいたのだ。それが、今年はかなり減っていたと思う。それと、用意したスライドの出来がまずまずだったし(上野先生にとっても初めてのスライドがたくさんあって興味を持っていただけたのではないだろうか)、講演時間も制限時間ピッタリに終了することができ、生徒らに迷惑をかけないで済んだからだ(一昨年は少し昼休み時間に食い込んでしまったように記憶している)。
 昼食後、上野先生と京都大学附属図書館へ向かい、一昨年お世話になった方にご挨拶し、ついでに貴重書を閲覧させていただいたり、入館券を作る準備までしていただいた。今後、京都での取材が多くなる可能性のある私としては、こんなありがたいことはない。
 それから、上野先生の研究室に案内してもらい、知りたかった資料のコピーをいただいたり、先生が最近入手したばかりという建部賢弘の『算学啓蒙諺解大成』を拝見させていただいたり、と充実した時間を過ごさせていただいた。
 ・・・気付いたらもう午後4時で、私は帰りの新幹線の時刻が迫っているのでお暇したが、よく考えてみれば、お忙しい先生に朝から夕方まで付き合っていただいたわけで、申し訳ないことをしてしまったと反省したが、後の祭りだった。
 大きな仕事が一段落したので、いよいよ次は、執筆中の長編を早いとこ仕上げなければならない。

1月18日(火)「今年早くも5回目のトレーニング・・・の風さん」
 目覚めて鏡を覗きこんだが、左目のまぶたは少し腫れている。まだ霰粒腫は完治していないのだ。しかも、左目の視力が低下したままなので、週末に名古屋で検査を受ける予定。
 久しぶりの会社だった。最近は作家としての自覚が戻っているので、少々のことで動じることはない。どういう意味かというと、定時が過ぎたら、後ろ髪を引かれることなく、さっさと退社するということ。
 帰宅して、トレーニングに出かけた。週2回、ウィークデイにトレーニングに行くことが、今年の目標だ。こうやって体力をつけていけば、週末は作家として充実した生活が送れるはず。
 ほぼフルメニューをこなした今日の結果は、血圧がかなり低く(ストレッチの時にめまいがひどかった)、肥満度は−0.1%、体脂肪率は19.4%だった。
 夕食後は、出版社へ送る原稿のコピーを用意することになっている。

1月21日(金)「ボケるな、シルバー・・・の風さん」
 うちの飼い猫「シルバー」はそろそろ13歳か14歳になるのではないか。人間ならいくつだろう。60歳よりは上のような気がする。外見は全く変わらないし、白髪になっていたり禿げていたり、あるいは腰がふらついていたりもしていない。だから、年齢のことなど気にしていない。しかし、猫だって加齢によって人間と同じ老化現象が出るはずだ。今朝、トイレの前で、すました顔でおおしょんべんを垂れたそうだ。その後、これはよくあることなのだが、排便の後、う@こがお尻についたままで(これをきれいに取り除くには浴室でシャワーを使う。もう大仕事である)、その一部を階段を付近に落とした。それを見つけられたものだから、玄関横の物入れに隠れたまま出てこない。シモの方がおかしくなってきているので、これは「ボケ」の兆候かもしれない。おい、シルバー、俺より先にボケるなよ、な。
 19日の深夜、ちょっと焦ることがあった。風呂に入ろうと思ったら、子供に先を越された。で、止むを得ず、書斎に戻り、1週間ぶりにフリーメールのチェックをしたら、な、なんと某社(お付き合いは初めて)から原稿依頼のメールが来ていた。送信日は13日だった。短い原稿なので、すぐに受諾の返信を送っておいた。
 今週もノルマ達成。帰宅後、トレーニングに出かけた。少し疲れ気味だった。肥満度0.1%で、体脂肪率は19.8%。なかなかスリムになれない。

1月22日(土)「ボケるな、シルバー(2)・・・の風さん」
 名古屋の眼科へ行ってきた。一番心配していた新たな病魔は、杞憂だったようだ(やれやれ)。ところが、霰粒腫は馬鹿にできない病気だった。ものもらい(麦粒腫)と違って、治りが遅く、手術しない場合は、しこりが残る恐れがあるとのこと。今日は、点眼薬2種類(抗菌と抗アレルギー)と軟膏、飲み薬(抗生物質)をもらってきた。
 色々と用事も済ませて帰宅したら、シルバーの姿が見えない。ワイフに聞くと、また玄関横の物入れに隠れてしまったという。「なぜ?」「今度は、トレイの前でう@こをしてしまったの」「叱ったのかい?」「いいえ。自分で自分の行為にショックを受けて、それで逃げ込んだみたい」「・・・」
 今、この気まぐれ日記を書いているのは夜の10時だが、シルバーはまだ出てこない。一体どうなってしまったのだろう?
 毎日多忙でできなかったが、今夜、ようやく一関市博物館主催の「和算に挑戦」の応募解答を用意した。私は、初級問題の解答二つと上級問題の解答を応募する。とりあえず、応募者全員が記念品と正解をもらえるそうなので、なしのつぶての落ち込みは経験しなくて済む。そうか! シルバーは、落ち込んで、物入れに隠れてしまったのだ。

1月23日(日)「霰粒腫、悪化する・・・の風さん」
 新聞の天気予報通りに、朝からどんよりした空模様だった。季節は全く違うが花曇のような陽気で、風がないため寒さをあまり感じない。これなら目一杯活動できるな、と思った。
 午前中は町内会の役員会だった。集会所が冷え切っているせいか外より寒く感じ、最初は議論にもあまり熱が入らなかった。散会するとき、同じ役員の女性から「霰粒腫の具合はどうですか?」と尋ねられてしまった。しっかり私の気まぐれ日記をチェックしているらしい。うかつなことは書けない。
 昼食後、私の仕事である町内会報を修正し、印刷のボランティアをしてくれている人のところへ原稿を持って行った。それから、昨日用意しておいた町内のゴミ集積所に設置する掲示板を車で運び、二ヶ所に設置して更新した。やはり寒くなかったので、1時間ほどで作業は終了した。だんだん慣れてきたようだ。できれば、私の在任中に、あと二ヶ所くらい更新したい。
 帰宅してから、日本数学協会の「数学文化」用の原稿の仕上げ作業に入った。
 早めの夕食を摂ったあと、再び集会所へ行った。今度は組長会である。組長会とは言っても○(まる)暴の話ではない。町内会の役員選挙の準備である。これが終わったのが8時半。会長から「一杯飲もうよ」といういつもの誘いがあったが、そんなことをしている余裕はない。手を振ったら、「ものもらいみたいだね」と指摘されてしまった。
 今日何度目かの帰宅をしたら、ワイフから「昨日より目が腫れている」と言われてしまった。確かにその通りで、仕事のし過ぎで治癒が遅れているのだろう。いや、悪化しているのだ。来週には手術を受けなければいけないかも。
 再び書斎に籠もって「数学文化」用の原稿に取り組んだ。90%はできたので、入浴し、読書し、PSPでリッジレーサーをやって寝ようとしたら、ワイフから「お湯沸かしているよ。ベネディクティンはまだ?」と悪魔の誘いがあった。こういう誘惑にはすぐ負けるので、ハーブ系のリキュール、ベネディクティンのお湯割を飲んでから寝た。

1月27日(木)「欲の皮を伸ばした結末は・・・の風さん」
 ちょっと頑張りすぎで、疲労気味である。火曜日は、冷たい風が吹いているのも理由にして、トレーニングを中止した。翻訳物だが、ウィリー・モリスの『男の相棒は猫に限る マイキャット・スピット・マギー』を読んでさっさと寝た(初老の著者が自身の幼い頃の思い出の場所を猫とたどるシーンは胸に迫る)。
 そして、昨日は、定時後に歯医者に行き、それから床屋にまで行って、効率の良い夜を過ごした。床屋ではおかみさんに目ざとく霰粒腫が見つかって、あれこれ説明してあげたが、「さっさと切ってもらうしかないよ。あははは」と笑い飛ばされた。
 今夜は勤務先の部次長会の新年会というのがあり、のこのこ出かけて行った。なぜかと言うと、抽選会で海外旅行が当たるので、欲の皮を目一杯突っ張らせていたからだ。会場まではミッシェルで行ったのだが、目の前をノロノロ走る車がいて、青信号なのに交差点で止まりやがったから、思わずクラクションを2、3回をポンポンと叩いて鳴らしたら、スイッチボタンが戻らなくなり、プワ〜ン!とけたたましく鳴り響いた。前の車も驚いたらしく、動き出し、私はミッシェルで後を追い、交差点を抜けたあたりで、もう一度クラクションのスイッチボタンを叩いたら、幸いスイッチボタンが戻って、騒音が停止した。
 どうしてクラクションのスイッチボタンが戻らなくなったか? そもそも私は車のクラクションを使わない人だ。ミッシェルのクラクションを鳴らしたのは、恐らく今夜が二度目だろう。一度目は初めてミッシェルを手に入れたとき、どんな音がするか確認のために鳴らした時だ。それ以来である。きっと抽選会に対して、入れ込んでいたのである。ヒヒーン!(競走馬か)
 え? 抽選会? 外れましたよーだ。

1月28日(金)「嵯峨野高校の生徒に感謝・・・の風さん」
 昨日今日と比較的気温が高い。亜老人(こんな言葉はないが)には過ごしやすい。ではあるが、気温が高くなってくると花粉の飛散が怖い。はたして予想通り、史上最悪の花粉攻撃を受けることになるのだろうか。
 17日に特別講義をした嵯峨野高校から礼状が届き、生徒の感想文が入っていた。恐らく私が気を悪くしない内容のものを厳選してくれたのだと想像するが、きわめて素直で正直な感想になっていてうれしかった。簡単にまとめると、数字も数学も嫌いで苦手だし、講義も難しくてつまらない眠くなるような内容だろうと、恐れていた。ところが、初めて見る和算は案外とっつきやすいもので、江戸時代の人が数学をいかに楽しんでいたか分かった。もう一つの感想は、私が夢を持ち続けて実現したことに対する共感で、自分たちもプラス思考で生きていこうと思った、というものである。
 和算という題材が数学を好きになるきっかけというか、あるいは数学アレルギーを回避する題材になり得ることと、面白い教材を選べば、今の生徒たちでも興味をもって数学と親しんでくれそうだ、ということが分かり、大いに勇気付けられた。
 また、私の個人的な話も、夢を持ちにくい現代の若者に対しても、案外、夢を持つことの素晴らしさを理解させられるということで、日本の将来はまだまだ捨てたもんじゃないと、本当にうれしかった。
 またどこかで若い人たちに話ができる機会があればいいな、と思う。
 今日やっと帰宅後トレーニングに行けた。フルメニューをこなした。血圧がちょっと下がり過ぎた(笑)・・・が、トレーニング後は良い数値が出た。肥満度はマイナス0.7%で、体脂肪率が18.4%だった(どうだい? 水野君・・・というのは会社の同僚で、どうやら最近彼の体脂肪率が高いらしい)。

1月29日(土)「霰粒腫と決別できない・・・の風さん」
 日当たりの良い出窓に置いてあったヒヤシンスが、もう花の盛りが過ぎてしおれかけている。季節はまだまだ寒い日があるというのに、なんと気の早いことか。
 相変わらず霰粒腫が完治しないので、業を煮やした風さんは、眼科へ行って切ってもらうことにした。
 帰宅時は眼帯をして片目だろうからと、途中までミッシェルで出かけるのを止められ、しぶしぶ電車で出発した。
 やはり早い時間の病院は空いている。それほど待たずに院長の診察が受けられた。「いつまでも腫れがひかないし、いちいち知人に説明しているのも億劫なので切除してください」と訴えたが、「まだ中の炎症がおさまっていないし、膿はやわらかいので、今切っても全部出すことはできませんよ。もう少し落ち着いてから診せてください」と、また内服薬をもらい、点眼薬は別の種類に変更された。これでは仕方ない。
 帰りに、データ保存などの目的で使用するためにアクロバット(PDF作成ソフト)を購入した。36540円した。たっけぇ〜。
 眼帯はもちろんしていないし、両目とも見えるが、電車で家路につくことに。中部国際空港線の開通もあり、私鉄のダイヤは大幅に変更になっていた。駅まで迎えに来てもらおうとワイフのケータイにメールしたが反応はなかった。
 春近し、と感じられる陽気の中、駅から歩いて帰宅。居間へ向かったら、ワイフが昼寝していて、ワイフのケータイは食卓の上でLEDがむなしく点滅していた。
 
1月30日(日)「国家財政を語る風さんの巻」
 冬型の気圧配置が強まり、朝から外の冷気が外壁をゆする。この地方特有の海から吹いてくる北西風だ。完全武装して外へ出、50リットルの灯油タンクに、ポリタンク2本分の灯油を給油した。寒かった〜。
 先週は、また若桜木虔さんから新刊が届いた。『天城峠 桜トンネルの殺人』(実業之日本社 838円税別)である。辻真先先生の執筆速度にも驚嘆するが、若桜木さんの速度もけた違いだ。今年3冊の出版を目標にしている風さんとしては、本当に頑張らねばならないと思い、肝に銘じている。
 某タブロイド版紙向けのエッセイを仕上げようと、午後いっぱい取り組んだが、夕食前までに完成させられなかった。
 夕食後、集会所で「町長と語る会」があるので、町内会の役員として出席した。話題は、合併問題である。地方交付税を当てにして事業を運営してきた町としては、どうしても合併しないと苦しい。その事情はよく分かるが、そもそも国家財政の大赤字(770兆円)を何とかしたくて、地方分権を進めようとしているだ。ここで目先のことにとらわれて合併を進め、10年間国から補助金を受けていくと、その補助金はやはり国家財政に響くわけだし、10年間受け取った補助金の3割は11年目から国に返さねばならないのだ。うまくやらなければ、国家の赤字が単に地方に分散されるだけになりかねない。理想かもしれないが、ここは合併をせず、日本のために、地方交付税も補助金も受け取らずに町の運営をしていくべきだと思う。
 帰宅は午後11時近くになり、それからエッセイの原稿を仕上げ、編集部へメールで送った。

1月31日(月)「今年の正月は短かった・・・の風さん」
 雪が降り出しそうなくらい寒い。長男がエアコンの温度設定を30℃にしたままで1ヶ月を過ごしたために、電気代がとんでもない金額になった。かつて東北地方に住んでいたころ、部屋の温度は10℃を超えたら満足していたものだ。それが最近では20℃ないと死にそうだと思ってしまう。それでも自分では異常だと思っているのに、長男は・・・馬鹿な親に馬鹿息子というわけか。
 昨夜エッセイを送った編集部へ、個人情報と写真を送った。
 人材データベース会社から「鳴海風を登録したい」との手紙が届いた。宣伝になり仕事が舞い込むかもしれないので、了解することにし、必要な情報を記入した。明日郵送する予定。
 毎年1月は長く感じられるのだが、今年はあっという間だった。それだけ必死に働いたせいだろう。しかし、まだまだ目の前の仕事は山積していて、マイペースで仕事できる状況は遠い。

05年2月はここ

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